ヘンデルのオペラ『アルチーナ』 ~2組の恋が成就し、すべてを失った女王の物語を、新鋭歌手陣の渾身のダ・カーポ・アリアと、美しい古楽演奏で堪能しました。

 5月20日(日)14時から、「めぐろパーシモンホール」で、〈二期会ニューウェーブ・オペラ劇場〉、
ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル(1685-1759)作曲の、

オペラ『アルチーナ』(HWV34)

を鑑賞しました。
 席は、S席最前列。このホールは、実に、観やすく、座席も少しスライドして楽です。

 物語のあらすじは、《予習》の、3月9日をご覧ください。
 余談ですが、前日の19日の公演を選んでいたら、夜、冷たい北風の中を帰宅するところでした。20日は、抜けるごとき晴天、暑からず寒からずの絶好の外出日和でした。
 ホールは、渋谷駅から東急東横線で約10分、「都立大学駅」徒歩7分のところにあります。

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 二期会公演は、大概そうですが、この日は特に、〈ニューウェーブ・オペラ劇場〉という、二期会オペラ研修所を出て3年以内の若手俊英歌手を中心にしたキャスティングで、出演者の知り合いが来ているのでしょうか、ドレスアップした女性が目立ちました。
 舞台も、超ベテラン勢のオペラとは違った、新鮮で懸命な盛り上がりと、発見のある、印象に残る、良い公演でした。
 〈ニューウェーブ・オペラ劇場〉では、過去に、『ジューリオ・チェーザレ』(2015-5-23)や『子供と魔法』(2012-5-23)などを観ています。

 演目は、《バロック・オペラ》です。〈バロック〉とは、〈いびつ〉なを意味するポルトガル語〈バロッコ〉が語源ですが、17世紀以前の端正な古典的建築作品と比して、18.9世紀の建築作品の揶揄から来ています。
 レチタチーヴォダ・カーポアリアの組み合わせで、心象風景を描いた演出です。
今回、私は、アリアを徹底的に楽しもうと、十分な予習をして行きました。

 若手歌手陣は、皆、頑張っていました・・、

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木内昇 『よこまち余話』 ~夢幻能のような、不思議で、理屈では無くて心情で味わう、得がたい一冊でした。


 しっとりとした、魅力的な表紙と、以前読んだ「櫛挽道守」、「漂砂のうたう」の感動余韻にひかれて求めました。

木内昇 『よこまち余話』(中央公論新社)

 書名から、長屋の人情絵図でも書かれているのかと思いました。
 確かに、大正か昭和初め頃の、東西を天神様の石段と屋敷裏の土塀に挟まれた、幅1間(1.8m)ほどに延びる路地にある長屋に住む人々の物語ではあります。

 しかし、彼岸と此岸、夢と現(うつつ)、夢を見ているような心持ちになってくる不思議な連作集でした。
 横町の人情絵図、などと通り過ぎないでよかった・・・。木内昇作品が、そんな単純な物語ではないとは思っていましたが。

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 父を亡くした魚屋の、中学生の次男・浩三(間に女の子がいるので、浩二ではなく、浩三となりました。)が、狂言回しになって、その店のおかみさんや長男・浩一(20~24歳)、
夫を亡くしたお針子・齣江(こまえ)、夫は、事故で亡くなった ? 亡夫は昆虫採集が好きで、生家は農家です。

 齣江の家に入り浸る老人・トメ。
そこに来る糸屋の井崎屋8代目息子、この息子は、時流に乗りたい。
「雰囲気をなんとなく伝えるだけでそろう」生地屋。
少し離れた和菓子屋光月堂の親父と聟、質屋の親父と息子・・、多彩な人物が現れます。何れも、貧しいながら元気に生きています。

 そして、文章が美しくて、すこぶる魅力的です。書き切れないほどです。例えば・・・、

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原田マハ 『モダン』(文春文庫) ~3・11を背景に、ワイエスの絵画を軸とした、美術館員二人の心情を描いた秀作《中断された展覧会の記憶》に感動しました。このブログのアクセス数が16万を超えました。

 はじめに・・。このブログのアクセス数が16万を超えました
 こつこつと書いて10年。アクセス数の増加も嬉しいですが、文章を書くことによる、自分自身の知識の蓄積が、もっと嬉しいです。
 これからも、自身の《手習い》のために続けて参ります。よろしくお願いします。


 ・・さて、本題。

 《ザ・モダン》とは、《MoMA》、ニューヨーク近代美術館の愛称です。
 書店の新刊棚で、本書をパラパラめくっていると、最初に、アンドリュー・ワイエスの「クリスティーナの世界」を題材とした短編があるので、即、買い求めました。

原田マハ 『モダン』(文春文庫)

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 MoMAを舞台にした短編集です。
 著者の、絵画の深い知識を縦横に駆使して、しかも、温かい気持ちで組み立てた物語5編は、さながら宝石箱を見たような感動です。

 まずは、やはり、冒頭の「中断された展覧会の記憶」に感動して、ワイエスの絵が好きな私は、これを読んでいる間、ずっと涙目でした。
ワイエスについては、このブログの、2010・10・1の記事『画家、アンドリュー・ワイエスの世界』をご覧ください。)

 3・11の大震災中に「福島近代美術館」に「クリスティーナの世界」が貸し出されていて、MoMAの展覧会ディレクター・杏子が、理事会の命で、福島に、この絵を返還してもらいに行く物語を、福島の学芸員長谷部伸子との〈交流〉を通して描いています。

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 これ、フィクションですよね。巧い。ホントに巧い。震災の周辺で起きたであろう様々な事象の一つから、深刻さを喚起し、また、前向きな感動を静かに与えてくれました。

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宮部みゆき『おそろし 三島屋変調百物語事始』 ~全五巻ある、まずは、第一巻から。《魑魅魍魎ファンタジー》的な、著者ならでの密度の濃い、ストリー展開です。

 我が家の、街中でありながら、朝夕の小鳥のさえずりしか聞こえない書斎で、読書に集中しました。

 先日、角川書店のPR小雑誌『本の旅人』5月号で、新刊、
宮部みゆき 『あやかし草紙 三島屋変調百物伍之続』(角川書店)
に関する、〈宮部みゆき×若松栄輔〉両氏による、刊行記念対談と斉藤環(精神科医・批評家)の書評が載っていました。

 著者シリーズ5作目で、〈ライフワーク〉作品とも書かれていましたが、残念ながら、私は、未だ未読です。
テレビドラマ化された(2014年)のも知りませんでした。
(小説では、着物の柄にも意味を持たせ、また、商いの細かい説明もありますが、テレビでは、どうしたのかな、所与の描きかたなんでしょうか。)
 そこで、この際、2008年刊行の、第一作から読むことにしました。

宮部みゆき 『おそろし 三島屋変調百物語事始』(角川書店)

 重厚な、430頁。です。面白く、3日弱で読了しました。

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 そもそも、《百物語》とは、百人が集まって、一人ずつ不思議な話をして、一つの話を終えたら、百本の蝋燭(ろうそく)の一つを消して、全部語り終えて、蝋燭も消えたら、お化けが出る、と言うものです。
 宮部百物語を読み終えると、果たして、何が出てくるのでしょうか。

 さて、やはり第一巻から読んで良かったと思います。濃厚な、物語の登場人物の背景が分かります。
 特に、第一巻は、主人公・おちかの複雑な事件に、多くの頁がさかれているので、重要です。

 物語は、江戸・筋違橋(すじかいばし)近くにある袋物屋「三島屋」の娘・おちか(17歳)が、養父の伝手(つて)で、口入屋、読売(瓦版屋)、岡っ引き達に広めて貰って、不思議な話を持っている人を、5日に一人の割合いで招いて、その話を聞いてあげる趣向です。 それぞれ、濃厚で、見る視点によって解釈も変わってくる複雑な人生描写です。

 ま、「変わり百物語」を集めるというものです。

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ヘンデルのオペラ『アルチーナ』をもう一度《予習》します ~今度は、物語の〈場〉ごとの進行を詳述してみます。

 5月20日(日)に鑑賞予定のヘンデルの

バロック・オペラ『アルチーナ』

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 すでに、3月9日に、〈予習〉していますが、大幅に〈増補〉し、場ごとの進行を書きました。
 この物語は、恋と嫉妬と騙しが錯綜する、心理的な物語です。
しかも、ダ・カーポ・アリアが、25曲近くありますので、話が混乱してしまいがちです。

 〈ダ・カーポ・アリア Da kapo aria〉とは、歌詞が、AーBーAの三部形式で、Bで、最初のAに戻るアリアです。
 歌手は、2度目のAに、楽譜に書かれていない装飾的パッセージを自分で作って歌います。
 〈ダ〉は、英語のfromと同じ「~から」という前置詞です。余談ですが、ダ・ヴィンチは、ダヴィンチ村から来た、のイメージがあります。
 
 鑑賞が間近になりましたので、ここで、人物と物語を整理して、再予習してみます。まさに、《手習帳》です。

 「物語」の大きな流れ自体は、既に予習していますが、それを再録したうえで、その後に、さらに詳細に、舞台の進行にしたがって、「場」ごとの流れを詳しく書いてみます・・

 ◆まず物語の大きな流れは・・・、

 パレスチナにおける十字軍の聖地回復の頃、とある魔法の島。
 この島では、女王で魔女のアルチーナが、男達を島に誘い込んでは誘惑し、飽きると、その姿を石、木や動物に変えてしまいます。
【アルチーナは、ホメロスの「オデュッセイア」のキリケの様な妖女】

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中路啓太 『ミネルヴァの旗を立てよ』の連載(「本の旅人」)が終わりました。

 連休初日に、息子が遊びに来ました。
 某役所で、国際交流の仕事をしているのですが、仕事で揉まれているせいか、来訪連絡メールも的確だし、私の好物を手土産にするし、何よりも、来てから妻との会話を聞いていると、妻が「えっ?・・」と言ったりすると、すぐ、易しい言葉に言い換えて話すなど、すっかり、気遣いも、成長したのに、親ながら感心しました。

 さて、出版社のPR小雑誌「本の旅人」(角川書店)5月号は、〈読みで〉がありました。
 まずは、中路啓太 『ミネルヴァの旗を立てよ』が〈完結〉しました。岸信介の戦中・戦後の伝記的な物語ですが、毎回、すごく長文なんです。ぎっしりの3段組み、20頁はあります。

 ポイントは、なぜ、憲法改正にこだわるか、で、現政権のバックアップの趣も無いではありませんが、それはそれとして、貴重な通史、政界裏面史ではあります。
 ま、岸引退後、不遇のニクソンを、(商社の金で)日本に招待し、ゴルフをするなど、親交を深めたから、ニクソンが大統領就任後、佐藤内閣で沖縄返還がすんなり行った、などちょっと贔屓がすぎるような記述もありますが。

 この連載と、これまたえらく長い、20頁ほどの、馳星周 『新宿ゴールデン街セレナーデ』も、著者の自伝的な部分も含まれていて、読みでがあるんです。
 もう一つ、中山七里  『カインの系譜』が、連載2回目で、すこぶる面白い。中国マフィアが登場かなあ・・。

 本誌特集の、宮部みゆき  『あやかし草子 三島屋変調百物語伍之続』。迂闊ながら、《三島屋シリーズ》の、これまで4巻、未読でした。早速、第1巻、『おそろし』から読んで行こうと思います。

 末筆。前回悩んでいた、メガネ。買うことにしました。担当した、店員さんも、気持ちがよかったから。私、ああいう、お姉さんぽく、てきぱきしたヒトに弱いんですよね。★ 

ちょっと、メガネをかえたくなって、メガネ屋さんに。そこで、気づいたこと、あれこれの雑談です。

 まずは、
 ここのところ、ずっと、 ウエーバー『歌劇  魔弾の射手』のCDを聴いて、7月のコンビチュニー演出が、〈どう出て来るか〉予想・研究しています。
 手元のCDは・・、

 ①指揮・ブルーノ・ヴァイル=WDRカペラ・コロニエンシス&ケルンWDR放送合唱団、
と、
 ②指揮・ニクラウス・アーノンクール=ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団&ベルリン放送合唱団

です。
 これらを選んだのは、訳があって、
 ①は、シュテッフェン・コペツキによる、ザーミエルの語り(モノローグ)の新テキストが挿入されていて、
 また、
 ②は、ヴェーバーにカットされた、フリードリヒ・キント台本の、プロローグの「隠者のシーン」が掲載されている、からです。

 7月の公演では、悪魔ザミエルを、元宝塚スター、和田悠河(ゆが)さんが台詞役で出演されますが、その趣向も楽しみではあります。

 と、細かい字を読んでいたらどうも、老眼鏡が見にくい。
 そういえば、最近、普段遣いの近視も、見にくくなってきました。
 この際、長らく使っている、度付きサングラスも度を合わせよう・・、と思いたちました。

 まずは、気にいったフレームを探して、3日間ほど、A店、B店、C店、D店を訪れました。結局、最初に戻って、A店に。
 選んだのは、結果として、今、使っているフレーム《マルコポーロ》のやや洒落た感じです。好みなんでしょうか、どうも、同系統のデザインに目が行ってしまうのでしょうか。でも、たしか、C店は、同じ品が2万円近く高かった。レンズ代も随分違いました。

 メガネ選びは、「今日は、下見です。」と、臆せず、沢山の店を見て回るのが肝心です。

 A店で検眼してもらったら、あまり度数が変わらないので、念のために眼科に行くことをすすめられました。そこで、検診と検眼をすることに。

 幸い、我が家の1軒先が眼科、女医さんです(どうでもいいか。)

 しかし、よかった、眼底から、白内障、緑内障、糖尿病網膜症・・と全部検査をしてもらいました
 結果、軽い白内障で、心配はないが、「度は進んでいないので、メガネを変えても同じです。」と、度数の診療書も書いてくれません。
 「フレームをかえたければ、メガネ屋さんで、『今のレンズと同じ度数で』、とおっしゃればそれでよい。」と。
 先生は、もう歳だから、白内障の傾向があっても仕方ない、とは、おっしゃいませんでした。

 ああ、そうなのか。眼鏡を買い替えるのは、もったいないか。
・・と思いつつ、決めたメガネがチラチラ脳裏に浮かび、やっぱり、変えようかな・・。

 ところで、明日は、神奈川県民ホールの10月公演『アイーダ』のネット発売日です。まずは、こちらを頑張らなくっちゃあ。★

《そだねー》と《何、ひと》をめぐる、流行語を追いかける話を、面白かったので、ご紹介します。

 7月に鑑賞する予定の、オペラ「魔弾の射手」は、コンビチュニー演出なので、オペラを味わうと言うよりは、コンヴィチュニー解釈が主となりそうです。
 そこで、もう一度、2組みのCDを聴きながら、多面的に《予習》を始めました。
 6月には、ドイツ文化センターで、コンヴィチュニーご当人の講演会もありますので、早速、お隣の「富山県赤坂会館」を予約して、家に帰れるのに、泊まってしまうほどの熱の入れようです。

 きょうは、毎月何冊か読んでいる出版社のPR小雑誌から、面白い記事があったのでご紹介します。

 女子カーリング選手の《そだねー》が、ちょっとした流行語です。

 しかし、この語も、何十年かたって、印刷物に載っていると、〈誤植〉として、《そだねー》と、直されそう、という話が、
』(新潮社)4月号の、北村薫「短編小説 ことば」
にありました(86頁)。

 《そだねー》に対比されたのは、昭和2年、新潮社「世界文学全集」第2回配本、イプセンの「人形の家」にある、
何ひと》、
という、楠山正雄訳語です。
 「ノラ 何ひと、それまで借りて置けばいいわ。
となっています。
 
 大正3年の中村吉蔵訳では、
 「ノラ なにあなた、それまで借りて置けばいゝんですわ。」
 岩波文庫旧版、竹内道雄訳は、
 「かまわないわよ。それまで借りて置けばいいじゃないの。」
 新版、原千代海訳
 「何よ、─借りればいいわよ。」
 新潮文庫、矢崎源九郞訳
 「ああら、それまで借りて置けばいいじゃありませんか。」
 角川文庫、山室静訳
 「ちょッ、じゃそれまで借りて置けばいいわ。」
 講談社文庫、毛利三彌訳
 「そんなの。借りればいいわ。」
 旺文社文庫、林穣二訳
 「なんのことないわ。それなら、借りて置けばいいじゃないの。」
 
 で、《何ひと》という訳は、あまりに異色で、誤植ではないか、と著者が追求していく話が、上下2段組み12頁にわたって書かれています。
 面白い。
 埼玉県立図書館が、何度も出てくるのは、著者居住地なのですね。きちんと、昔の資料を保存してあるんですね。それに、やはり、新潮社の資料室は、圧巻、ですね。

 大正の頃の流行語だったのですね。
 女性が人にからかわれて、「何よ、人をばかにして」を、「何、ひと」となったらしい。上記の「ちょッ」の感じです。

 戸板庸二の随筆集「ハンカチの鼠」にも、「何、ひと」という一文が出てくるのも発見されます。
 当初、誤植ではないかと指摘された新潮社の毅然とした、自信ある対応も凄い。

 面白かったので、ご紹介しました。全文は、もっと、ボリュームがあります。★

定年退職後10年がたち、間もなく71歳となります。この10年間は充実していました。10年一昔。さて、次の10年は・・。

 4月で、定年退職後、10年がたちました。
 次の誕生日で、71歳になります。

 定年退職後、オペラと文楽、歌舞伎の新しい趣味を得て、このブログも間もなく16万のアクセスがありますし、地域の自治会活動にかかわって、地域に入って行けました。
 一応琴瑟相和し、孫とも遊べ、とりわけ病もありません。
 次の10年では、顔色老い、鴻雁の歩となるかもわかりませんが、この10年間は、充実していました。
 写真は、孫と将棋中。

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 思えば、退職間際の3年間、《あがり》で出向した、《特別養護老人ホーム》施設長勤めが、その時は、出向で不満でしたが、今考えると、すこぶる良かった。
 ここに行かなければ、自分がこれから迎える、高齢世界も、介護保険の知識も、介護世界の実情も分かりませんでした。

 で、退職後、引き続いて、新設の特別養護老人ホームの施設長の職を斡旋されましたが、その施設団体の、あまりの理念の低さに3日ほどで断り(これが、最初のブログ「特別養護老人ホームの選び方」を書くきっかけとなりました。)、数か月後に、芸術公益財団事務局長の職を得ました。

 この芸術財団では、オペラなどの出し物があるときは、例えば、数ヶ月間もリハーサルすべてに〈付き合った〉などしたことが、今の趣味に繋がっています。これがなければ、生涯、オペラには接することが無かったでしょう。
 ここで、芸大出の職員に教えられ、文楽にも、初めて興味を持ち、大阪までも数度聞きに行ったほどです。
 また、この財団が持っている「文学館」の館長が病で倒れたことから、この館長も兼務し、学芸員と親しく話せ、文学をじっくり読むことになりました。これも、恵まれていました。

 で、完全引退して、家に入った直後、回り持ちの自治会の地区班長になったことから、欠員になっていた《民生・児童委員》を頼まれて、6年間勤めました。
 民生委員は、〈一人勤務〉なので、活動するにあたって自分の好きな方法ですることが出来て、人間関係に煩わされないのがメリットでした。何よりも、今まで全く知らなかった地域、それこそ、地域の公民館にも一度も行ったことがなかったのに、今では、〈地域〉に誰よりも精通することになりました。

 趣味、地域、健康、のキーワードが上手く交差した、10年間でした。
 10年一昔
 この10年で、文楽の国宝級の太夫が相次いで亡くなり、やや魅力が失せ、オペラは、同じものを観るのはやや魅力が失せています。民生委員を退任して、自治会役員も引退しました。
 次の、10年は、どうする・・。★

注)財団事務局長と民生委員の記事は、右の「記事のカテゴリー」から、まとめて、ご覧になれます。

原田マハ 『ジヴェルニーの食卓』(集英社) ~画家たちの心象風景に触れて、画集を観る。至福の読書時間を過ごしました。部分から全体を知るように画家を理解できました。

 アンリ=エミール=ブノア・マティスを敬愛した、家政婦・マリア。
 エドガー・ドガを助力した、資産家の娘・メアリー・カサット。
 ポール・セザンヌを助力した、ジュリアン・タンギーの娘。
 クロード・モネを敬愛した義理の娘・オシュデ。ブランシュ
それぞれを通して、画家とその時代を描いた、4編の短編集、

原田マハ 『ジヴェルニーの食卓』(集英社)

を読み終えました。

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 平行して、座右に置いて参考にしたのは、

大高保二郎(監修)松田健児(著) 『ピカソ 生涯と作品』(東京美術)
新潮社美術文庫39 『マティス』(新潮社)
新潮社美術文庫25 『ドガ』(新潮社)
新潮社美術文庫28 『セザンヌ』(新潮社)
サラ・パップワース オード・ヴァン・リン(絵) 『僕はモネ』(バイ・インターナショナル)
です。
 これらは、すべて、近所の図書館から借りました。
 画家たちの心象風景に触れて、画集の作品を観る・・至福の読書時間でした。
 4人の画家たちの身近な人物を介して、よく知られたエピソードではありますが、その心の内を辿る様な、美しい作品集です。

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朝井まかて『銀の猫』 ~感動しました。江戸時代の〈介護〉事情が描かれて秀逸です。老人と介抱人の心情、様々な人生を描き、文章も巧い。「ぽっくり」では無く「ゆっくり」死ぬことに説得力があります。

 江戸時代は、幼児は、病で早世することが多かったが、高齢者は、長生きする長寿社会だったそうです。

 そういう中で、〈老い光り(おいびかり)〉、隠居後、楽しみ暮らす町人も多かったとか。 一方、武家は、70歳にならないと隠居を許されず、それまでは主君の為に、懸命に働きました。

 しかし、何れにも、やがて、老いは訪れます。

 武家は、忠孝を勧める御公儀(おかみ)に「看病断(かんびょうことわり)」を出せば、同居の親の看病に専念出来ます。親は、倅(せがれ)が看るのが孝の道だからです。
 でも、男が介護をするのは、なかなか容易ではありません。
 町人は、やはり、親の介護は、倅(せがれ)が看るのが建前です。大変な介護経験をすると、自分の時は、誰にもこの苦労はさせたく無い、と思ってしまいます。
 町人も、生活に余裕がある家は、「介抱人」を雇いました。武家も、隠れて、雇う家がありました。
 
 今日、読み終えたのは、

朝井まかて『銀の猫』(文藝春秋)

です。

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 私は、特別養護老人ホームの施設長を経験しましたが、この本は、高齢者と介護の心情を描いて秀逸です。
(私の、施設長時代のエッセイは、 https://blog.goo.ne.jp/inkyo-ce1 をご覧ください。 )

 やはり、朝井まかて、です。人生の描き方、ちょっとした文章表現も巧い。

人の生きようは、つくづく妙な按配がはたらくものだ」といったことも心に残ります。

  本書は、江戸の、《介抱人》、〈お咲〉の物語です。
銀の猫〉は、咲が、常に懐に入れている、小指ほどの香箱座りをした猫の銀細工です。
あるいは、長屋の野良猫が、背中に日が当たると銀色に光ります。

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藤田覚『勘定奉行の江戸時代』 ~本書は、時代小説を理解するのに欠かせない貴重な知識を、沢山得られます。

 まずは、少々脱線します。
 5月の鑑賞を前に、ヘンデルのオペラ『アルチーナ』のCDを2種類聞き比べています。
オリジナル楽器の、ウイリアム・クリスティ指揮=レザール・フロリサンと、
アラン・カーティス指揮=イル・コンブレッソ・バロッコ、です。
 このオペラ、25に及ぶ〈ダ・カーポ・アリア〉があり、その中には12分に及ぶ「ああ、私の心よ」などもあります。二期会公演では、人間心理をどう表現できるか。また、ヘンデルが《貴族オペラ》に対抗して、コヴェントガーデン歌劇場の為に考えた様々な新趣向を、フローリス・ビッサー【オランダ】演出は、どのように舞台にするか、こちらも、入念に予習しています。

 さて、本題です。小説を一休みして、今日読み終えたのは、

藤田覚 『勘定奉行の江戸時代』(ちくま新書)

です。

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 例えば、青山文平(1948-)の時代小説では、閉塞感ある、江戸の下級武士世界を描いた作品が多くあります。その中では、ごく簡単に、武家役職などの説明がなされているのが通常です。
 しかし、やはり、これらの知識は、ある程度、体系的に知っていると、物語の理解が全く変わってくるのではないか・・と思ったのが、本書を読んだ感想です。
 私は、本書の「幕府財政の財政危機と改革」の年表(52頁)もコピーしておいて、時代小説を読むときに、当該小説の時代が、すぐ分かるようにしておきました。
 例えば、今、読み始めた
朝井まかて 『銀の猫』(文藝春秋)
で、「天保4年」と出て来たときに、・・この年は、天保の凶作・飢餓、の年で、遠山の金さんが、出世の緒についた時期か・・と、吹いている、時代の風を嗅ぐことができます。

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原田マハ 『サロメ』 ~オーブリー・ビアズリーの〈サロメ〉の首は、誰を想って描かれたのか。オーブリー・ビアズリーと姉・メイベル、そしてオスカー・ワイルド、3人それぞれが持つ〈サロメ〉的な魔性を描いた力作です。

 このところ、原田マハ(1962-)の、特に、絵画をテーマにした書物を読んでいます。(「アノニム」、「たゆたえども沈まず」、「楽園のカンバス」

 今回は、

原田マハ 『サロメ』(文藝春秋)
です。

 19世紀イギリスの、挿絵入り季刊文芸誌「イエローブック」に似せた、洒落た表紙の装丁(装丁・大久保明子)で、この本の主要登場人物である、挿絵画家(イラストレーター)、
オーブリー・ビアズリー(1872-1898)、

聖者の生首に口づけするサロメ」(「お前の口に口づけしたよ、ヨカナーン」)が描かれています【写真】。
 さて、この首は、オーブリー・ビアズリーが、誰を想って描かれたのでしょうか。

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 ところで、このブログで、2010年の9月5日8日12月4日に、コンヴィチュニー(1945-)演出の、
リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』(1905初演)
を鑑賞する(2011年2月22日)にあたって、サロメや、
オスカー・ワイルド(1854-1900)
について、随分、予習して書いたことがありました。
 そこのところは、本書の、ロンドン大学研究員、ジェーン・マクノイアと少し共通するところがあります。

(この時は、西村孝次「オスカーワイルド全集」(青土社)、木村克彦「ワイルド作品論」(新樹社)許光俊「コンヴィチュニー、オペラを超えるオペラ」(青土社)などで勉強しました。)

 その際は、ワイルド「サロメ」英語版に描かれたオーブリー・ビアズリーの絵にあまり気を止めなかったのですが、本書の作品は、まさにオーブリー・ビアズリーとオスカー・ワイルドについて、ビアズリーの 1歳年上の姉・メイベル・ビアズリー(21歳)からの視線で、邂逅から深層心理までが丁寧に描かれています。

 ちなみに、〈サロメ〉の名は、「マタイ伝」(14:1ー12)には、〈ヘロデイアの娘〉としか出ておらず、ユダヤ著述家・フラウィウス・ヨセフス「ユダヤ古代史」において、「サロメ」と特定されています。

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志川節子 『煌(きらり)』 ~心情も風景も、繊細に描かれた、美しい短編集です。破談になった、盲目の娘の作った簪の話には、感動しました。

 表紙の、《春信》の様な、小村雪岱(1887-1940)の日本画が美しい。
 つい先日、丸善本店で、書棚を見ていて、「随分、美しい本があるな」と見ていたのが、「小村雪岱随筆集」でした。その時は、それで終わりましたが、やはり、〈ご緣〉が会ったのですね。買ってこなくては・・。
 さて、きょう読み終えたのは、

志川節子 『煌(きらり)』(徳間書店)
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 志川節子(1971-)は、初めて読みました。
 早稲田大学第一文学部卒業後、会社勤務を経て、2003年に「七転び」で、第83回オール讀物新人賞受賞した、島根県出身の短編作家です。

 時代の息吹、街の風景、季節の香り、職人の仕事、何よりも、人の心情が、丁寧に、繊細で、美しく書かれた短編集です。
 表紙にピタリです。

 登場人物は、何らかの生きている証を見つけ、周囲も、無意識にそれを助けている様な、感動する短編が、6編収められています。
 それに、出てくる登場人物が、皆、誠実な人ばかりなので、〈安心して〉! 読め、後味も、すこぶる良く、余韻が残ります。

 「あそこの番頭は・・ふぇっ、たしか一昨年、卒中でお蛇仏になったはず・・ふぇっ」、と言ったような、しゃっくりをしつつの会話も面白い。
 
 物語の時代は、2,30年おきになっています・・、
 最初の、1703年と、最後の、1855年は、江戸大地震が起こった年です。

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朝井まかて 『雲上雲下』 ~「物語」の大切さを述べる、魅力ある語り部です。心が、ほっこり洗われるような感じで、どんどん、読み進んでいきます。「奪い続ける人間」、「物語を否定する現代人」に向けた、警鐘でもあります。

 表紙は、母である龍神に跨がる小太郎少年です(第二章終盤)。
きょうは、

朝井まかて 『雲上雲下(うんじょううんげ)』(徳間書店)

を読み終えました。

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 雲上には、神様がいて、雲下の民の話を集めています。雲上と雲下の境には、物語があります。

 しかし、時代は・・、
 おばあちゃんは、孫に言います。「今日は、一寸法師の話がいいか、風の神様の話がいいか?」
 孫は、言います。「おばあちゃん、神様なんかいないよ。」
 おばあちゃん、「そんなこと言うと罰(ばち)が当たるよ」
 孫、「罰って?」
 おばあちゃん、「神様が、いつも空から見てらっしゃるってこと」
 孫、「ソンナノ、作り話だよ」
 今は、本当にあった話が大事みたい。残酷な話や、報われない話も駄目。退治された鬼はかわいそう。
 ・・このような時代です。
 一方、人間は、自分たちのために、環境をどんどん変えていきます・・。

 意欲作の多い、朝井まかて。これは、何と言ったら良いジャンルなんでしょう。
 お伽噺、童話、昔話、を読んでいるように、頭で細かいことを考えずに、訛りの少しある、リズミカルな口調の文章が、先へ、先へ、と頁をどんどん繰り進める、不思議な本です。
 まさに、語り部、朝井まかて。

 一体、この話の先がどのようなものか、その筋は、全く、予測、想像できません・・。
ただ、第二章の小太郎の物語、第三章の〈たねあかし〉は、長文で、心を打たれます。

 この本は、ナニカ賞を受けるんではないかな。
 素晴らしい内容です。

 例えば、冒頭は、〈章ノ一 小さき者たち〉。雑草(草どん)と、森の外れの、大樫の洞からやって来た、子狐との会話(「草どんと、子狐」)。
 草どんが語って聞かす物語は、庭の小穴に落ちた、爺さん婆さんがお地蔵さんに会って長者になります(「団子地蔵」)、
 再び、子狐にお話をせがまれて、
助けた天女に招待された家で、留守中、開けてはならない、という箪笥の引き出しを開けた木樵でしたが、開けると、元の竹藪に戻っていました。

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葉室麟 『大獄 西郷青嵐賦』 ~幕末、政争の修羅を、蓋世の気概を持って、世の灯明たらんと生きる、若き西郷の活躍と挫折を、スケール大きく、丁寧に描いた大作です。

 暖かくなりました。日のたっぷり当たる書斎は、昼近くには、まるで、温室のようになります。
 今年は、読書が進んでいます。歳をとったら、集まって話しなさい、運動しなさい・・、と言われますが、余計なお世話。人の楽しみは、それぞれです。

きょうは、

 葉室麟 『大獄 西郷青嵐賦』(文藝春秋)

を読了しました。
 本作も、昨年、11月15日刊行ですから、12月23日に、66歳で急逝された著者の、《遺作》の一冊と言えるでしょう。
 これで、12月刊行の『天翔ける』(角川書店)と、今年1月刊行の『玄鳥さりて』(新潮社)と、《遺作》小説は、読み終えたわけです。

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 『天翔ける』が、丁寧に、幕末から明治にかけての、1863~1890年の、約30年間の〈政争〉を俯瞰するスケールの大きい歴史小説であった様に、
 本作も、1846年~1862年の、約16年間の、幕末《政争》が、西郷吉之助(後の西郷隆盛)に仮託されて、丁寧に描かれています。
 余談ですが、NHKーTVの大河ドラマ『西郷(せご)どん』(原作・林真理子)で言えば、例えば、3月18日までが、ちょうど、本書の80頁まであたりになり、本書の背景記述が深い分、ドラマの理解が格段に深まります。

 作品の始まりは、1846年、琉球・那覇へのフランス艦来航からです。
 このように、本書では、薩摩・島津藩の琉球侵攻が、〈黒糖地獄〉といった収奪と共に詳述されています。

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原田マハ『楽園のカンヴァス』 ~ 久しぶりに、知的でスリリングな、読書の醍醐味に浸れ、感動しました。壮大な《フィクション》に、はまってしまうところでした。

 名残りの雪も去って、桜の季節が訪れました。

 感動しました。知的で、スリリングな読書の醍醐味に浸ることが出来ました。後味も良い。

原田マハ 『楽園のカンヴァス』(新潮社)

参考に、
新潮美術文庫33『ルソー』(新潮社)

を参照しつつ読みました。
 美術のキュレーター(学芸員)であり、ニューヨーク近代美術館(MoMA)にも在籍経験がある著者が、素朴派の画家、
アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(1844-1910)
の生涯を下敷きにして、絵画、業界の知識を完全に咀嚼したうえに、さまざまな史実、人物を交差させてた、構想力豊かな作品です。

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 画家・アンリ・ルソーの、有名な『』(1910)【写真】と同じに描かれた、「謎」の絵、『夢をみた』の真贋を巡る物語です。

 ルソーの絵は、あまり有名ではありませんが、どこかで見た経験があります。
 入市税関吏の素人が描いた、遠近法も明暗法も習得していない「素人の絵、無知で下手くそな素人の絵」と酷評されていましたが、パブロ・ピカソ(1881-1973)などは、その作品を高く評価していました。

 本書の冒頭に、パリの若い芸術家が集まる「夜会」(1908年に実際ありました。)に招かれた、米国女流作家・美術蒐集家である、ガートルード・スタイン(1874-1946)の文章の引用があります。
 「ルソーって誰のことだろう。・・・」と。
 大方の認識は、このようなものでしょう。

 私は、200頁を過ぎた頃に、迂闊にも、気づきました。
ちゃんと目次には、各章の年代が書かれているのですが、気にせず、さっと、読み進めていたのです。時系列で先に進んでいると思った物語は、過去に遡っていたんだと・・。
 どうも、主人公・早川織絵の、パリ登場が、唐突だったと思った訳です。

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オペラ『ノルマ』~ベルカントの競演に、熱演の大村博美。《コンチェルタンテ・シリーズ》って、単に演奏会形式のこと ?

 人、人、人・・の渋谷駅周辺は、あまり行きたくない場所です。
 人をかき分けるのが嫌なので、ハチ公前から、東急百貨店本店行きの無料シャトルバスに乗りました。同店7階のジュンク堂書店を見てから、同店8階から3階に降りるエスカレータで、
Bunkamura、オーチャード・ホールへ。

 3月18日(日)、2時から、
オペラ『ノルマ (2幕)』(ヴィンチエンツオ・ベッリーニ)
を観賞しました。

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 席は、《見にくい》このホールでは、極めて良い席の、20列上手席。
 しかし、毎回、最前列で観ているので、やはり遠い感じがします。
 
 第一回の、《コンチェルタンテ・シリーズ》公演、と銘打たれていますが、見終わってみると、単なる、演奏会形式、セミ・ステージ公演です。
 舞台のオーケストラ後部に、さらに高い舞台がしつらえてあって、そこで歌われます。合唱団は、その後ろです。
 ・・と、そういう意味では、いつもの最前列だったら、見上げる感じだったでしょう。そこは、この席で良かった。

 《コンチェルタンテ・シリーズ》。確かに、舞台背面に動画、写真が照射されますが、クライマックスの炎(ま、これもありふれていますが)を除いて、あまり関係の無い画像です。
 音楽と釣り合わない、緊迫感あふれる序曲に長閑な風景・・、などと、今、流行の、もっと凄いプロジェクションマッピングを期待していましたが期待外れ。期待させるような、新しいネーミングは止めてほしいところです。
 演奏会形式、でいいじゃあありませんか。音楽に集中できる長所があるんですから。(でも、演奏会形式なら、わざわざ行かなかったかも・・。)
 演出は、菊池裕美子。先日、プレ・イベント(ミニ・ライブとトーク)で話を聴いたところですが、今回、あまり評価しません。

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三月歌舞伎(歌舞伎座)夜の部を、《桟敷席》で堪能しました ~玉三郎・仁左衛門、寄り添う二人にため息です。

3月16日(金)、
三月歌舞伎(歌舞伎座)夜の部
を、夫婦で観劇しました。

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 歌舞伎は、いつも、国立劇場で見ていて、歌舞伎座は、2013年5月に観た、《こけら落し公演》以来になります。

 いつも、国立劇場では、肩肘張って《通し》を観るのですが、歌舞伎座は、《みどり》で、まずは軽妙な出し物→景事→有名な出し物、となっていますので、寛いで、贔屓の役者を楽しみ、リラックスして時間を過ごせます。

 まして、今回の席は、次男のお嫁さんの配慮による1階《桟敷席》です。ま、ご近所さんにも自慢の一つもしたくなるほどです。
 桟敷席は、芝居を見るだけでなく、〈見られる〉席であることを留意しなければなりませんので、お洒落して出かけました。

 出し物は・・、

まずは、『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうら)』
 41年ぶりの片岡仁左衛門の鬼門の喜兵衛×板東玉三郎の土手のお六、夫婦役。
 《“孝”玉》コンビは、《こけら落とし公演》の時もそうでした。
 山家屋清兵衛は中村錦之助、髪結亀吉は板東亀造、庵崎久作は嵐橘三郎、油屋太郎七は板東彦三郎、芸達者の布陣で、鶴屋南北の特長である、字余り・字足らずの言葉の使い方、下座音楽の無い無音の台詞がスピーディに物語が運ばれました。

・・30分間の休憩。
 席に、お弁当が届きます。2段です。さらに、食後は、3階売店で買っておいた、〈おめでたい焼き〉を・・やや食べ過ぎ。

休憩後は・・、

神田祭
 これが良いんです。
 粋な芸者の板東玉三郎、鳶の片岡仁左衛門。
二人寄り添って、やや、はじらいます。玉三郎は、やはり、ホントに〈美しい〉。

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梓澤要『万葉恋づくし』 ~いつの時代にもある、政争、陰謀、そして、人の情、様々な生き方と情熱的な恋。各章冒頭の全歌も読み解いて、感想を述べてみます。

 そういえば・・、私の亡父母は、国文科出身で、母は、ゼミで〈万葉集〉を学んでいます。私の〈名前〉も、万葉集にある単語です。
 今日、読了したのは、

梓澤要 『万葉恋づくし』(新潮社)

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 各章冒頭に、万葉集の歌を2つほど置き、その歌から、物語を創造、発展させています。
 少し、万葉の歌を理解するのに骨がおれますが、「万葉集」とその時代を知ることの出来るお薦めの書です。
 私は、新潮日本古典集成『萬葉集』(1)~(5)を座右に置いて、歌を味わいながら読んでいきました。先日の、古書店での買い物が、早速、役に立ちました。

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 本書は、大伴家持を中心とした時代の政争・陰謀、そして、何よりも、人の情、様々な生き方と情熱的な恋が細かく描かれています。
 万葉集入門書、としても格好の書です。

 大伴家持(718-185)は、万葉集、最後の、第4期の歌人で、大伴旅人の子です。家持は、どちらかというと、
春愁独思(しゅんじゅうどくし)の歌、
つまり、例えば、春そのものが悲しいのであって、何か理由があって悲しいのではない、と言った歌が印象に残ります。(「うらうらに照れる春日(はるひ)にひばりあがり心悲しもひとりし思えば」巻19-4292)

 また、書中では、弟の大伴書持も、優しく、草花の好きな、世離れした、印象的な青年として2度ほど登場して印象に残ります。きっと、著者も、好もしく思っているのでしょう。

 今回、各章巻頭の歌は、新潮日本古典集成『萬葉集』(1)~(5)を参考にして、全歌を読み解いてみます。
 また、その際、この本文では、書には無い、《歌番号》を掲載し、解釈は、なるべく、くだけた、記載にするように努力しました。
 5,000字近いので、時間をかけてお読みください。きっと、万葉集に興味が出ると思います。

 さて、本文です・・・、
 冒頭の、第一、「紅はかくこそ」は、
聖武天皇の御代、越中に単身赴任している、部下・尾張の浮気を諫める、国司である越中守・大伴家持を、万葉集から引いて描いています。

大伴家持(巻18ー4108、4109)の歌・・、
 長歌の後の、3首の反歌のうちの2首が掲げられています。
長歌》とは、五七を2回以上繰り返して、最後を五七七で終わる歌。《反歌》とは、長歌の後ろにつけられた、長歌の内容・要点を反復している歌です。

○「里人の見る目恥かしさぶる児(こ)に 迷(さど)はす君が宮出後風(みやでしりぶり)」
・・里人、つまり国庁周辺に住む庶民の目を思うと、この私まで恥ずかしくなる。左夫流(さぶる)、つまり遊行女婦(うかれめ。官人の宴席に侍した教養ある女のこと。)に血道をあげているあなたがいそいそ登庁する後ろ姿は。

○「紅(くれない)はうつろふものぞつるばみの 馴れにし衣(きぬ)になお及(し)かめやも」
・・見た目が鮮やかな紅はあせやすいもの。つるばみの馴れにし衣、つまり、《つるばめ》、どんぐりの実で染めたくすんだ薄墨色の衣(妻のたとえ)には及ばない。

○左夫流(さぶる)子が 斎(いつ)きし殿に鈴懸けぬ駅馬(はゆま)下れり里もとどろに(巻18-4110)
・・左夫流(さぶる)子が大切にお仕えしていた御殿に駅鈴もつけない早馬が、里中鳴り響くばかりに息せき切って下って来た。
 前の歌の2日後に、都から、怒った本(先)妻が駆けつけて来たことになっています。

本文中には、
○ 「あおによし奈良にある妹が高々に待つらむ心しかにはあらじか(巻18-4107)
・・遠い奈良にある妻が、高々と爪立ちする思いで夫の帰りを待っている。その心根のいじらしさ。妻の心とは、そのようなものであろう。
が繰り入れられています。

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プロフィール

感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 芸術団体を「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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